【最終考察】ASD(自閉症スペクトラム)wikipediaを理解する。~ASDはエセ医学説~

最終考察を少し熟してきたので、書いてみたいと思います。

まず初めに、当事者として自身の体験を。

適応障害と同時に、ASDと診断書に書かれた私は、さっぱり意味がわからずに、この横文字に翻弄されることになります。

療養のために実家に帰り、適応障害は瓦解しました。恐ろしい病気で、体は重く、精神安定剤を飲まないといけない生活を送ります。

そもそも、発端は何かというと、突き詰めていくときっかけは結婚してすぐに単身赴任になったことがかなり大きな比重をしめている。当時のことを知人に話すと、「そりゃ、なるかもしれないな」というほど不遇だった。

これがきっかけで、今現在サラリーマンというポジションに大きな疑問を抱いている。

ちなみに、東京で仕事をして、独身だったころは、バリバリ仕事をして、評価も高く、充実した生活を送り、普通に生活していた。

ASDという横文字は、それ単体でつくこと(診断されること)に大きな意味はない。はっきりと言ってしまうが、医師による権威の振りかざしでしかない。少なくとも僕は、「ASD診断されてよかった」という意見を聞いたことがない。これが、癌だったらどうだろう?風邪だったら?腫瘍だったら?

「早く見つかって、良かったですね。まだ間に合いますよ」これが、診断の目的だ。「うつ」でさえ、治療ができる。

ASDには治療法がない。病院で診断されるのに、治療法がないのだ。

noteに、「チャビ母」という方がいます。自閉症診断された子を連れて、渡米した方で、この国の「発達マイノリティ」に対する意識、レッテル、システムに違和感を抱いて日本を飛び出した方。極めて正常な感覚だと思う。

奈落の底に突き落とすだけの「自閉症の診断」なんておかしいよね

少し、引用させて頂きたい。

子供に障害名を与える事が「医療&福祉&教育が連携した長期サポート」につながらなきゃ、それはただの拷問なんだよね。

医療・福祉・教育、それぞれが役割を持っているんだとは思うけど、個々がしっかりしていたとしても「連携」と「共有された長期ビジョン・サポート」がない限り、障害のある子供達や親は路頭に迷うだけだよね。

だからね、アメリカの就学前のIFSP(個別家族支援計画)、そして就学後のIEP(個別支援計画)のような、診断の有無にこだわらない無料で途切れる事のない医療・福祉・教育・セラピーといった総合的な早期療育のようなものが日本にも確立されて、行動を起こした親子だけが救われるんじゃなく、またサポートに恵まれている地域の親子だけが救われるんじゃなく、全ての不安を抱えている親子が安心できるようになってほしいなって、自分の苦しい過去を振り返ると切に願わずにはいられないんだよね。

奈落の底に突き落とすだけの「自閉症の診断」を
もう一切終わりにしなきゃいけない。

この言葉、どう考えても反論できない。いや、反論することを狙って読んでるわけではもちろんのないのだけれど、物事の一抹の真実というのは、「反論できないこと」に(少なくともその付近に)あると思っている私は、どう考えてもチャビ母様の叫びに似た投稿に猛烈に共感した。(お礼にサポートまでしました)

どうしてもこのテーマになると長くなってしまう。

すっぱりいこう。現在の日本において言えば、ASDはエセ医学。さらにいうと、ビジネスである。

「病気喧伝」と言う言葉がある。

病気喧伝(びょうきけんでん Disease mongering)は、製薬会社や精神科医、また他の専門家あるいは消費者団体などが、市場を拡大するために、販売したり治療法を伝える目的で、病気の診断に用いる境界を拡大したり、そのような啓発を市民に宣伝することに対する、蔑称である。例として、ニコチン依存症や男性型脱毛症(AGA)や社交不安障害(SAD)が挙げられる。典型的には「医師に相談を」で締めくくられる広告である。

ASDは、この病気喧伝だ。更に言うと、発達障害も一部の人格障害も、一部のうつも病気喧伝。専門ではない人間が何を言い切り型で、と言われてしまうだろうが、僕は医学というものがお金なしには成り立たないことを考えると、その医学会のお金のゲームには乗らないことに決めた。搾取されて終わりだ。シロアリを家に放ち、「お宅、シロアリにやられてますよ!」という詐欺ビジネスが一時期噂になったが、似たようなものだと思う。

これだけ一部の医学をディスってしまったので、それなりの根拠を示さないといけないとは思う。まず、このシリーズでやってきたwikipedia考察。wikipediaといえば、用語理解の登竜門です。まずこのページを見る人が非常に多い。そのwikiのASD項目には、ASDの定義がされていない。「精神医学的障害の一種」で終わり。定義がされていないものに、対策もなにもない。対策ができない現象であれば、無視するしかない。

もちろん、医学的には定義がある。そして、もしもアメリカに生まれていれば、日本よりは支援が充実している(=対策が実施されている)為、私のこの意見は日本におけるASDについての言述だ。

中途半端に輸入し、社会の体制も整わないまま、診断ツールだけ用いて人を型にはめた結果が、多くの私やチャビ母さんのような不毛に苦しむ人を生み出している。

ここまで私が何かを否定することは珍しいのだけれど、歪なものが苦しむ人をこれからも生み出し続けるのであれば、その連鎖は断ち切らないといけないと思う。その為なら他人からどう思われたとしても、叫びたい。

診断があるなら対策を、対策がないなら不毛な診断をやめるべきだ。

最終考察としては、少し鼻息が荒い?(笑)かもしれませんが、私はこう思っています。

もし同意できないとしても、意見の一つです。

意見と人格が同一視されないように、願っています。

追記。

補足で考察をすると、ASDなどの発達マイノリティ系の日本の現状は、「米国で医学を勉強した医師」しかいないことに原因があると思う。つまり、ASDについて言うならば、ASDを学習し日本に伝える医師はいても、ASDについて学習し日本に伝える行政のリーダーがいない。だから、診断ツールはあっても体制はない。知識はあっても意識がついていかない。

そういった意味では、医学会をディスってしまったことを少し訂正して、診断と社会制度の不均等をただ単に嘆くべきでした。

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