とにかく、書きたいことを書く。こんなこと書いたらアドセンス受からないとか、そんなことは考えちゃダメだ。人は思ってることしか、書けないんだ。
発達障害というテーマで、書きたいと思う。発達障害は最近のパワーワードだ。よくわからない、なんだか変な人たちのことだ。(そう、それでいい)
かくいう僕も、ASDを診断された。福岡に転勤になり、プライベートなストレスもあり、どうしても体が朝動かなくなった。適応障害との同時診断だった。
いまだに、適応障害とのコンボで診断されたこの横文字が僕を悩ませる。
ASDとは、自閉症スペクトラム症のことだ。なんのこっちゃ、わからない。
数冊本を読んだ。noteではwikiを読み解いてみたりした。
色々と経緯はあるが、つまるところ、これが障害なのかどうか、甚だ疑問を持つ。
正確には、これに「障害(者)」と名前をつけることの意味だ。
バリバリに働き、いっぱしに結婚し、それなりに大学生活を送り、6年間社会人生活をし、31歳で突然「障害者」になった。僕のプライドは、崩れた。混乱した。
僕は僕なのに、突然障害者になった。
本当に考え続けてきた。これからの人生、どう生きていくか。まだ、答えはでていないんだ。
持論は持つことができた。例えば、この質問にスパッと答えられる人はいるだろうか?
質問:性同一性”障害”は過去に”障害”と呼ばれていました。でも今は、社会の理解が進んで、障害のイメージはないですね。この性同一性”障害”と、発達”障害”の違い、あなたならどう解釈しますか?
今は、LGBTと呼ばれ、実は性同一性障害はWHOの”障害”(精神疾病)から正式に外された。
僕は、この発達障害はいつか同じ歴史をたどると思っている。未来のことだ。証明はできない。
でも、それでも。
どんなに変なやつだと思われようと、社会からの助けがなかろうと、生きづらさを抱えていようと、もしもこんな未来が、社会が来ることを想像できたら。
少し、もう少し生きてみようと思わないかな?
発達障害をテーマのブログをいくつも読んでみた。発達障害をアイデンティティにしている、というと大きな語弊が生まれそうだけれど、顔出しにして実名でブログを持っている方が何人もいる。ある意味、僕にはまだできないことだ。
だって、家族はどう思うだろう?
友人は?会社同僚は?
僕はまだ、できない。その前に、適応障害と同時に仕事とプライベートが散々な時期に診断されたこの横文字に、暴力性さえ感じてしまっている。
きっと、なにか意味があるんだ。僕がこの診断を受けたことに。きっといつか、誰かの生きる力になるんだ。
そう、君に話しかけている。
コメント