才能に凹凸があることはチャンス~発達障害wikipedia最終考察~

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発達障害のwikipedia解釈を終えて、総合的な考察です。

仮説や大局観について、間違いを恐れずに、引用なしで考察してみます。

まず、一番に書きたいのは、「発達障害」の歴史は非常に浅いということ。日本においては、1970年が発祥。つまり、その前の時代には「発達障害」という言葉は存在しなかった。

では、仮に今の「発達障害」認定された人が1960年に生まれていたらどうなるか?どう呼ばれていたか?

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※多少の差別用語も記載します。ご容赦ください。おそらくだが、「変な人」「奇人」「キチガイ」「異端児」「不思議な人」「頭のおかしな奴」「才能に溢れた人」「超能力者」「天才」など、才能の偏りによって、良し悪し両面から判断されて様々な呼ばれ方をしていたのではないか?

ふと思い浮かんだのが、画家の山下清さん(おにぎりがすきなんだなぁ、の台詞が有名な方)です。

と考えていたら、以下リンクに入っていました。タイトルは「釣り」感ありますが、中身は割とゴシップ狙いではない、しっかりとした記事だと思います。

発達障害の芸能人衝撃ランキングTOP30!意外な芸能人も発達障害を公表?

芸能人な訳ですから、才能の偏りをいい方に開花させた人々ばかり。「芸能人」だけが発達障害者な訳でもなく、発達障害者は成功する訳でもない。顕著で、有名であからさまなだけ。

二つ目は、「国には頼れない」ということ。はっきり感じたことを書きますが、国は(特に大人の)発達障害者について本腰を入れていないと感じました。


国家予算は限られます。災害が日本中で起き、オリンピックが控え、北朝鮮の動向を見守り、まず優先するとしても「子供の発達障害」。
大人の発達障害者だから死ぬ訳ではないです。優先順位としては、決して間違っているとは思わないですが、とにかく今の日本国には頼れない。

大人の発達障害は、自分の力で良きも悪きもコントロールするしかありません。どこが強く、どこが弱いのか。弱いところはどうカバーするのか、どう支援者や理解者、パートナー(仕事、結婚など公私ともに)に出会うのか、それは自分で切り開かないといけない。少なくとも、今の日本に期待してはいけない。

別の国に生まれていたら違います。人種の構成による多様性の有効活用力や、学校教育が違うからです。

日本人は、自分で活路を開くしかない。
そして、障害と名前がつきながら、「障害」による金銭的な支給の道は今のところ険しい道のりです。

少なくとも、認定→判定→障害手帳までのプロセスと、そのプロセスに見合うメリットを考えると、ペイしません。

3つ目。それでも、やはり「一人の人間」であること。やや哲学的な記載にならざるをえませんが、才能に凹凸があることはチャンス。

更に逆に日本の現状を考えると、「発達障害」のこの発展途上の現状は当事者にとってはかなりのチャンスとも言えます。

「五体不満足」が一大ヒットしたように「才能凹凸」の理解について日本の世間認識を変えたら、それは一歩「多様性の理解」や「自由」という人が求めるものに貢献するチャンス。

方法論はわかりません。

独断ですが、「ホリエモン」も多少はその気質があるような気がします。私はホリエモンは好きです。

まだまだ考察が足りていない気がします。

私がここに書いている根本理由「自分の頭で考えて、それを発信する。できれば毎日。」に従い、今日はここまでにします。

※ちなみに、私自身は「発達障害」認定されたわけではありません。認定までのプロセスや、金銭的なことを考えると、今は「認定」にあまり意味や効果を感じません。ただ、「軽度の発達障害」はあると自分の人生を振り返ると、あると思います。

今日のところは、お休みなさい。

明日も心の平和を大切に、1日1日、焦らず、傲らず、悲観せず、穏やかに。

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