発達障害を恥ずかしいと思うな~一つの個性だという考え方~

『発達障害 境界に立つ若者たち』は、山下成司さんという発達障害児童の教育に10年以上携わった方書いた本だ。

まず初めに、いくつか引用させて頂きたい。

学習障害(LD)を持つ子供と山下さんの対話だ。
「バカだから。計算とか、できないんだ。おれはバカだから」

12-8=4 という普通の人には簡単な計算が高校生になってもどうしてもできない、それでも、スポーツは得意、クラスのムードメーカー、オシャレなその学生に対し、山下さんはこう話しかける。

「LDも一つの個性だという考え方があるんだ。なあ、自分の好きなこと、得意なことを頑張って、自信をつけていこうよ。もし君をバカにするヤツがいたら、『ぼくはLDなんです、知ってますか?だから計算とかが苦手なんです。わかってください』と言ってやれ。恥ずかしいことじゃない」

読んだ時に、少し涙腺が緩む。
黒板に「○○君はバカ」と書かれ、それを読んでもなお消さずに、「おれはバカだから」と書き出す子供だ。必死の処世術。

そんな生きづらさを抱える子に、山下さんは「恥ずかしいと思うな」と祈る。

「俺が居場所を作ってやる。俺がお前の心の片隅にでも、お前の命を肯定するスペースを埋めこんでやりたいんだ」

そんな、山下さんの祈りが聞こえてきた。

もう1つ、「高機能自閉症」「アスペルガー症候群」に関する記載がある。一見すると、おとなしく、知的障害もない、普通の子供。しかし、分かりやすく言えば「KY」もしくは「MKY」な子供だ。

※2009年、空気が読めないことをこう呼ばれた。マジで空気が読めないのはMKYと呼ばれたそうだ。

24才のアスペルガー症候群と診断された女性のインタビューでは、そんな「発達障害との境界」に立つ若者の生きづらさが記載されている。障害手帳を持つことのメリットを著者は訴えるが、両親は一般企業での普通の仕事につくことを希望する。その為、障害手帳は取得しないことになる。

あとがきでは、こんな言葉が綴られる。

健常と発達障害、またはそれぞれの障害に名称をつけ、区分け、ラベリングすることにこだわるのは、ある意味不毛なことだ。
「個性」ゆえに彼らが不利益をこうむることがあれば、制度の充実も願うものです。それが私の「神様への祈り」です。

彼らが除外されるような社会ではなく、むしろ「彼らがいてこその社会」という認識をみんなが共有するような社会が実現できれば、それが本当の意味での「ノーマライゼーション」だ。まだまだ社会の成熟を待たねばならない。

彼らのナイーブで不器用とも言える生き方から学ぶべきことも沢山あることを、伝えたい。みんな本当に「ピュアなハート」の持ち主なのだ。

この本が出版されてから、10年。現状はどうだろうか。山下さんの祈りは、神様に届いただろうか。

日本を猛スピードで横断する電車に乗りながら、僕もまた祈ろうと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました